鎌倉高校の何気無い日常 5
「〜と言うことで、我々といたしましては是非とも視察をさせて頂きたいと」
「し、しかしですね、生徒は授業中ですので」
「校長、授業中以外にどうやって授業の実情を視察出来るのです」
「まあ、確かにそうではあるのでしょうが」
「そうやって煮え切らない態度をとる事自体、何かやましい点がおありなのでは」
「え! とんでもない。誤解です」
「では」
「あ、あの。もう少々お待ちいただけないでしょうか」
「何故ですか?」
「実はもう1つ、今日、本校の見学を申し込まれている団体がございまして」
「団体?」
「はい、そちらと少々打ち合わせするなり、お待ちいただくなり、して参りますので」
「どこの団体ですか?」
「それが」
「校長」
「テレビ神奈川でして」
「マ! ……マスコミ、ですか」
「はい」
「校長、ちょっと失礼」
そう言うと教育委員会の御歴々は椅子から立ち上がり、
部屋の隅で校長に背を向けて、3人で額を付き合わせてヒソヒソと相談を始めた。
「(やはり例の件をかぎつけたのでは)」
「(それ以外に今日来る理由が無いでしょう)」
「(そんな学校にこのタイミングで教育委員会まで来校していると知ったら)」
「(マズイかね?)」
「(マズイでしょう)」
「(もし、件の噂が本当だったら)」
「(また、前回報告のあったのと同様の騒ぎが起きてしまって)」
「(その場に、教育委員会まで居合わせたのに)」
「(未然に防げなかったら)」
「(何も、防止策の提言や要請もしておりませんし)」
「(文科省から呼び出されるかもしれませんぞ)」
「(マズイですね)」
「(ああ、マズイ)」
一同は校長に向きなおって
「校長、ここはマスコミの方にはお引き取りを…、校長?」
「あれ? どこに行った?」
当の校長はと言えば
「ああ、お待たせしました。校長です」
ノックもせずに慌ただしく入ってきた校長に、部屋の中にいた5人の男女が一斉に注目した。
3人はソファーに座らず、その内の2人はソファーの後ろで頻りに何やら機械のチェックをしている。
1人は、肩に担いだハンディーカメラを校長に向けた。既に承諾無しでカメラを回し始めているらしい。
手前に座っている女性がインタビュァーだかアナウンサーだかなのだろう。
ソファーの真ん中に座っていた男が立ち上がり、そつない笑顔で名刺入れから名刺を取り出しながら挨拶する。
「どうも、こちらこそお忙しいところを突然お邪魔いたしまして、申し訳ありません。
私、テレビ神奈川のプロデューサーをしております」
「ああ、どうもどうも」
校長も名刺を取りだし、二人は名刺交換をする。
「突然ですが、こうして今日お邪魔しましたのは、実は間もなく始まる高校入試の出願を前に
視聴者から要望の多かった県内のいくつかの高校を取材させて頂き、
受験を迎える中学3年生の生徒とその保護者の方の参考にしていただければと企画いたしまして」
「そうですか、なるほど」
そう言いながらも、この取って付けたような取材理由に校長ははなじらんだ。
「ああ、もちろん御校におかれましても、ここを絶好の宣伝媒体としてご利用いただき
県内の優秀な生徒さんを募集する一助としていただければ」
「ありがたい限りのお話ではあるのですが」
「では、許可していt」
「ただ、どうなのでしょう」
「え?」
「本校といたしましても、正直なところ優秀な生徒は欲しい。
ただ、公立高校の建前といたしまして、公平性に欠けるのではないかと思うのです。
先程のお話ですと県内いくつかの高校に限定されての取材だという。
どういった高校が名を連ねているのかは存じませんが、そこに恣意的なものが無いとは言えないでしょう。
それはまずい」
「いえ、視聴者から要望です。決して変な意図は」
「ええ、テレビ神奈川さんの御好意は充分に分かっておるつもりです。
ですが、公立高校というものはただ宣伝すればいい、というものではないのです。
視聴者から要望とは言え、県内公立高校をランキングしているわけではないですか。
そこを何やらつつかれるのは得策ではない。昨今有り得ないことではないですからね。
そうなってしまえば、そちらの御好意も我々の目論見も、逆効果となってしまいかねない。
それを危惧しておる次第で。それと実は、今日は何やら、本校、人気のようで、もう1つの団体が」
「え?」
「あなた方とは違う趣旨なのですが、たった今、もう1団体が本校の視察にお出でになっておりまして」
「え? 視察、ですか。ああ、事務室前の入り口に男物の靴が何足かありましたね。
差し支えなければ、その団体名をお教えいただけませんでしょうか」
「神奈川県教育委員会の方々です」
「教育委員会が……。あの、ちょっと失礼します。局の上層部に」
と、何やら思惑顔でディレクターの男が携帯を出しながら、部屋から出ていった。
「申し訳ありませんが、私も」
そう言って校長も席をはずして出ていってしまった。
残ったスタッフ達はただ無言で顔を見合わせていた。
「ああ、おまちどおさまでした」
「で、どうでした? テレビ神奈川の方々にはお引き取り願えたのですか?」
「特定の高校何校かだけの取材では公立高校としての公平性に欠ける、そう申しておきました」
「なるほどなるほど」
「御賛同頂けますか」
「ええ、公教育に携わる以上、宣伝すればいいと言うものではないですからな」
「それと、どういう高校が名を連ねているのかは存じませんが恣意的なものを感じざるを得ない、
視聴者の要望とはいえ県立高校をランキングするのはいかがなものか、とも申し伝えました」
「見事です」
「ええ、まことに正統な理由で」
「で、テレビ神奈川は帰りましたか」
「上層部と協議しているようですので、間もなく結果がお伝えできるかと」
「結構」
「あ、校長。教育委員会のことは彼らに言っては」
「先客があった事は知っていたようですよ。来る時に校門か玄関でお会いになってしまわれたのでは?」
「え?」
「そう言えば、校門のところで……」
「ああ、あれか」
「で、どなたか聞かれまして」
「こ、答えたのかね」
「ええ、隠し立てするのもおかしな話ですし」
「そう…だな。うむ、それは確かにそうだ」
「ま、まあ、高校に教育委員会が訪れる事なんて珍しいことではないからね」
「そうですよ。何かの研修会の打ち合わせとか」
「ま、テレビ神奈川が帰ってくれれば、何の心配も無いわけだし」
「ではそろそろ、上層部との協議も終わったでしょから、私は向こうに戻ります」
「良い結果報告を期待しています」
校長はそれに答えず、無言で会釈してドアを閉めた。
コンコン
今度はノックをして校長が入室した。案の定、校長の読み通りディレクターは戻っていた。
「お忙しいのに恐縮です」
「いえいえ。で、どうなりました」
「上層部としては、特に恣意的なものは無い事を誠意を持ってお伝えせよ、とのことで」
「なるほど……。では」
そう言って校長は隣の部屋を指さし、
「丁度いい具合にこちらも教育委員会が来校しておりますので、申し伝えてみましょう」
「恐れ入ります」
「いえいえ、お互い『うえ』には逆らえない身が辛いですな」
「は、はあ……」
「〜と言うことで、丁度良いから本校を借りて
教育委員会の方々にも『神奈川県の高校教育』についてインタビューをさせて頂きたい、とのことで」
「え?」
「そうすることによって、多少なりとも公平性が保てるのでは、と言っておりましたが」
「か、帰るのではなく、我々に取材??」
3人は慌ててまた部屋の隅でヒソヒソと打ち合わせた。
「(われわれ3人の責任になりかねませんぞ)」
「(調理実習の視察が、えらい事になってきましたな)」
「(ああ、もうすぐ3時間目が終わってしまう)」
「(確か、彼女の調理実習は今日の3・4時間目だったね)」
「(ま、ここまでは何もなかったようだが)」
「(調理実習より、まずはテレビ神奈川を片付けないと)」
「(面倒なことになったな)」
「では、向こうの準備を見てきますので。
ひょっとすると、次に入室する時はテレビカメラが真っ先に入ってくるかもしれませんので、
そのおつもりでいてください」
「あ、校長、だから」
校長は、教育委員会の言葉を聞かずに出ていった。
校長は隣の部屋に行かず、事務室に飛びこみ、実習室前の教頭を呼んでくるよう事務員に指示した。
そして、呼吸を整え応接室をノックした。
「〜ということで不公平の無いように、まず教育委員会へのインタビューを撮る、
という条件を提示されたのですが。どんなもんでしょうね」
「それはこちらとしても恣意性の排除に繋がりますので、願ってもない事なのですが」
ディレクターは腕時計と、応接室の壁掛け時計を見比べた。
隣に座るアナウンサーと思しき女性がディレクターに耳打ちする。
「(情報だと噂の生徒の調理実習は3、4限のはずです)」
「分かってる」
「(あと5分程で3限が終わってしまm)」
「分かってる。いいから、僕に任せて」
校長は何も耳に入ってこない風を装っていた。
「申し訳ありません。技術的なことでちょっとあれでして」
「え? ああ、お気になさらずにどうぞ。
では、そのインタビューについては御承諾頂ける、ということでよろしいでしょうか?」
「え、ええ。ただ、突然のインタビューですと結構しどろもどろになられる方もいらっしゃいますので、
できましたら教育委員会の方へのインタビューは、日を改めまして、
質問内容をファックスかメールでお伝えしてから、という方がお互いスムーズに運ぶのではないかと」
「ああ、そうですか」
校長はほんの少し考え込んだ。
「あの、不躾な質問で恐縮なのですが」
それまで黙っていた女性アナウンサーが校長にマイクを向けた
「何か、私どもに取材されるとお困りのことがおありなのでしょうか?」
「き、君」
慌てたのは校長ではなくディレクターだった。
マイクを向けられた当の校長は
「マイク、入ってるの?」
アナウンサーは
「あ、申し訳ありません。入ってはおりません。質問する時の癖で」
そう言って照れ笑いをしたのだった。
しかし校長は、彼女の後ろに控えているスタッフの1人が見ている機材のパイロットランプが
来客用ソファーの脇で青く光っている事を見逃さなかった。
「で、どうなのでしょう」
「困りますね」
テレビクルーは、この校長の1言に緊張した。
10/03/23 UP